2011年という年の「キーワード」は、「革命」という言葉でよいのかもしれない。それはどうしても筆者に1989年を思い起こさせるからかもしれない。
それは“独裁支配”、あるいは“準独裁支配”に対する市民によるカウンター・ムーブメントという点で共通している。
私がもっとも多感だったあの年、天安門事件で幕を開けた。
中国の民主化運動は悲劇的な結末を迎えてしまったけれど、その出来事に刺激を受けたかつての「東欧」(ここではソ連の影響下にあった旧共産圏の国々)がすぐに呼応した。
同年6月にはポーランドが、10月にはハンガリーが、そして11月にはベルリンの壁崩壊とチェコスロバキのビロード革命、12月にはルーマニアのチャウセスク政権崩壊……。
今回、北アフリカの小国チュニジアで火がついた民主化運動は、すぐに隣国のアルジェリアに飛び火し、エジプト、イエメン、ヨルダン、と連鎖し、20年以上の歳月を経て、再び「天安門(中国)」へと皮肉にも一巡しそうな勢いを見せている。現に中国政府は、国民がエジプト情勢に触発されて報道規制を始めてしまった。
1989年の「東欧革命」は当時のソヴィエトを脅かし、結果的に東西冷戦を終結に導いた。2011年の「中東革命」は?
イスラエルという国家の存在意義を揺さぶり、
減速しかけている中国パワーに水を差し、
不安定なレバノンとイランを過激化させ、
これまで先進諸国に住むいわゆるフツーの生活者からは白い目で視られ、被害者意識コンプレックスに苦悩していた世界中のイスラム教徒たちをさらに団結させ、
中東での舵取りを手こずっているオバマ政権にストレスを与え、
日本の政治家たちの痴呆ぶりをさらけ出してしまった。
それぞれの地域について詳しくここで述べてもしかたがない。じゃあ、今回の(中東各国での)民主化運動に対する管政権の反応は?
乱暴に要約してしまえば「ニホンジン観光客の安全確保もあるし、とにかくデモ隊も政府軍も、もうちょっと穏やかにやってくれ」。と、この程度の認識……。
約20年前、あの巨大なうねりは、海賊ラジオとTVが大きな役割を果たしたけれど、今回はFacebookとTwitter。20年そこそこで情報伝達技術も“革命”も様変わりしてしまった。では、20年後の世界ではどんな“道具”で人々は権力に立ち向かってゆくのだろう。

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