「ムーサという男」
チュニジアの「ジャスミン革命」、そして「エジプト革命」に続く一連の中東関連の速報の中で、今年再びアムル・ムーサ(アラブ連盟事務局長)の名前を頻繁に聞くようになった。
特に“ポスト・ムバラク”として現在、軍が実質的な指導権を握っているエジプトで、次期(新生)大統領選にそれとなく出馬の意思を口にしてからは、大手メディアのほとんどがエジプトの新大統領に最も相応しい人物として、ムーサ氏の名前を大々的に取り上げている(これを書いている現在、中東情勢の“主役”はもっぱらリビアのカダフィだが……)。
ところでアムル・ムーサってそもそも、誰? と思われてる方も多いだろう。
各メディアでは「アラブ連盟事務局長」とか「元エジプト外務大臣」などといった肩書きで軽く済ませており、実際どんな人物なのか詳しく知っている方はそれほど日本にいないと思う。
もちろん私だってあまり知らない。
あまり知らないけれど、まったく知らない訳ではないので、個人的な意見を書いてみようかと血迷ってしまった。
小生のアンテナに引っ掛かってしまったのにはもちろん理由がある。
と言って思い当たる節をなぞってみると、結構あった。
いや、たくさんある。
キリがないのでひとつに絞ると、アラブ諸国を含め中近東のイスラム世界に長く身をおいていた、ことだろう。
話を戻すと、まず「アラブ連盟」とは? から始まる。
アラブ連盟とはそもそもアラブ圏の団結を目指して第二次世界大戦中、エジプトが発起人となって設立された。
東西冷戦が始まると、ソ連とアメリカの狭間でアラブ諸国のスポークスマンとしての役割を果たし、イスラエル建国後の激しく混乱した中東においても、当初は「連盟(League)」の名にふさわしい団結力を見せた。
でも、すぐに加盟国同士の我の張り合い等でバラバラになり、「連盟」と名のり続けていても、実質的にはうまく機能していない“機関”となってしまう。
幾度もの中東戦争では、仲裁役を買って出た大国からの“使者”(国連を筆頭にカーター元米大統領やキッシンジャー氏等々)の活躍で完全にその影を潜め、イラン・イラク戦争や湾岸戦争では内部分裂してしまう(ムーサ氏はそのほとんどの期間、国連に身を置いていた)。
冷戦終結後から“9.11”までの約十年間「アラブ連盟」の名は聞こえなくなってしまった(ムーサ氏はその時期、ムバラク大統領に煙たがられながらもエジプトで外務大臣を務めていた)。
2001年にムーサ氏がアラブ連盟のリーダーに就任すると、頻繁に加盟国会議を行うようになり、積極的にレバノン問題やパレスチナ問題に取り掛かってゆく(ただし、本気で頑張っていたのはトップのムーサ氏ぐらいだったと記憶する)。
とりわけ2006年、レバノンを舞台にしたヒズボラとイスラエル軍の戦闘、または、現在に至るまでのイスラエル・レバノン・シリア・イラン各国の情勢不安改善のため、率先して飛び回っていることは特筆すべきだと思う。
個人的には、私が2007年~2008年、ベイルートに滞在していた折、同国(レバノン)大統領不在といった異常事態の中、ムーサ事務局長が幾度もベイルートを訪れていたのが印象に残っている。
(2005年、ハリーリ元レバノン大統領が暗殺された後にエスカレートした混乱や、シリアの支援で成り立つイスラム過激派組織による「民主的大統領選ボイコット」問題を早期に解決し、内戦回避のために彼はベイルートとアラブ連盟の本部があるカイロを往復し必死に交渉に当たっていたのだ)。
そして今、自らが新しいエジプトの大統領選出馬に積極的な姿勢を見せたこと、そして彼アムル・ムーサ氏が国内外から大きな支持を得ている現実は、私にとってもなんだか嬉しい気がする。
単に「外交官時代が長く外交手腕に長けているから」とか、「かつて国連での活動が国際社会で高い評価を得ている」から、といった程度のマスコミ説明には残念だが、以上のような背景が(もちろん、ほんの一部だが)ムーサという男にはある。
が、「しかし」と続く。
御歳ただいま74才。
さらに、ムバラクと異なり反イスラエル主義を掲げてきた人物。
非暴力革命を成し遂げた反シオニズム活動家や「ムスリム同胞団」が今後どのようにイスラエルや欧米諸国と折り合いをつけてゆくのかも、気になるところ。
中東の民主化を応援しながら、同時にイスラエル支援を続けるアメリカにとって、もし「エジプトにおいて民主的選挙で選ばれたアムル・ムーサ新大統領誕生」というニュースを目にすることになれば、アンビバレントな思いに駆られることだろう。
◆本当は先月(2月28日)行われた『第83回アカデミー賞授賞式』についても、あれこれ書きたかったのだけど……。
丸本武 & タケシ・トラバート
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